過去のブログ2010
2010 1225 1226
今日は、大変な一日であった。北陸方面に桐たんすの配達があり、大雪の中、トラックで走行していた。上越インターチェンジを過ぎて、途中、5件もの事故を目撃した。
大半が、雪の為にスリップして、ガードレールに激突しているような事故であった。
私の運転しているトラックもいつもの様なスピードは、出せない。トラックは、後輪駆動のため、雪道だとふらついて、本当に怖い。
今日の高速道路の雪道は、本当にガタガタ道で、何時ハンドルを取られるか判らなかった。しかし、トンネルに入ると、雪は無く、当然、スピードも出せて、楽になる。
新潟県から富山県への途中、トンネルは、26本。そのトンネルを何本か抜けた後、名立大町トンネルに入った。
わたしは、スピードを少し上げたようだった。名立大町トンネルを出た。と同時に圧雪の雪にハンドルを取られて、橋に激突。時計を見たら午前10時30分。
トラックは、大破。少し落ち着いて、110番警察に通報。その後、JAFに連絡して、トラックを移動できるレッカー車、又は、トラック運搬車をお願いした。
エンジンをかけたが、かからず。金沢ナンバーの方が、親切にも引っ張ってくれると言ったが、エンジンからオイルが漏れていて、危ないと思い、お断りした。
待つこと10分程度。道路公団のパトロール車が来て、後続車がぶつからないように旗振りをしてくれた。
今回、日記にこの恥ずかしい出来事を書こうと決めたのは、一つは、この道路公団のお二人に感謝の気持ちを伝えたかったからである。別れ際に何も言えず、別れたからだった。
本当にありがとうございました。
この場を借りて感謝申し上げます。
JAFが来るまでの約3時間、ずっと旗振りをしてくれた。何度も何度もお礼を言ったが、言い足りなかった。
ありがとうございました。
本当にありがとうございました。
道路公団の方の後、警察の方が来た。事情を話した。まったくの自損事故で交通違反にも減点にもならないと説明してくれた。
お話していて、わかったのは、この警察官お二人の内、お一人が弊社の事を知っていたとの事だった。加茂警察に以前いて、昔、桐たんすを買いに行って、弊社の駐車場が判らず、入れなかった。代わりに8号線沿いにあるタンス屋で買った。との事。
そうしたら、この間、そのタンス屋の前を通ったら、別の店になっていた。だまされた、と思ったそうだ。
私は、「それは勘違いです。」 と説明した。「同じ会社なのだけど、社長のせがれさんが会社に入って、お店をリニューアルしたのです。」と説明した。 警察の方は、なるほどとうなずいた。
警察への事情説明が終わり、しばらくJAFを待った。
その間、道路公団の方は、約3時間以上もの長い間、お二人交代でずっと旗振りをしてくれた。本当に感謝である。
普段は、感じていないのだが、いざ、交通事故に遭遇すると人の気持ちの有り難さに胸が詰まる。
やっとJAFの方が来た。この方にもお礼が言いたい。本当にありがとうございました。おかげで会社まで帰って来れました。
話をしていて、判ったのだが、偶然にもこのJAFの奥さんは、弊社の桐たんすを購入になり、現在も使っているとの事。何という奇遇であろうか。
ということは、このJAFのお兄さんも弊社のお客様。
不思議な縁を感じた。今は、JAFのお客として私がお客の立場ではあるものの、家へ帰れば、弊社の桐たんすがあるとの事。嬉しかった。
結局、その日は、取引先にトラック自損事故の話を伝えて、納品は、後日になった。お使い予定のお客様、本当に申し訳ありません。帰ってから、桐たんすを検品して、傷の無いように確かめてから、必ず納品いたします。
JAFの方は、本当に親切で手際よく、助かりました。レンタカーを借りて、その日は、桐たんすを積み替えてから、帰ろうとしたら、レンタカー屋さんの電話番号リストを渡してくれた。
結局、タンスを詰めそうなバンタイプのレンタカーは、近くの店にないとわかり、電車で会社まで帰ることになった。
JAFの方は、近くの能生駅まで送ってくれた。
本当にありがとうございました。感謝。感謝。
駅に着いたら、午後1時50分。
能生駅で聞くと、直江津と柏崎の間が大雪と強風の為に不通になっているとの事。通常であれば、能生駅から直江津駅まで行き、そこから北越号に乗れば、新潟方面の加茂駅まで1本なのだが、困った。
とりあえず、直江津駅まで行き、電車が駄目なら、レンタカーと思った。
午後1時57分。すぐに列車は来た。
20分ほど乗って、直江津に着いた。
問題は、直江津駅からだ。新潟方面長岡行きは、駄目なのでほくほく線で越後湯沢まで行き、そこから新幹線で長岡。長岡から信越線で加茂駅まで。という計画を立てた。
しかし、ほくほく線のはくたか号は、待てど来ない。午後4時発のはくたか17号は、約30分遅れだとの事。レンタカーは、どうか?
駅レンタカーで聞いたが、すべて予約済みで空きがないとの事。
ニッポンレンタカーに聞いてみる。やはり、こちらの欲しいレンタカーは、無かった。
はくたか号に乗ることにした。
初めてほくほく線になる事になった。
待つこと35分。ようやく、出発。越後湯沢まで通常であれば、約1時間であるが、今日は、かなり、遅くなりそうであった。
結局、午後6時前に越後湯沢駅に着いた。
今度は、長岡駅まで。6時31分発に乗った。長岡駅に近くなると、信越線が柏崎方面は、不通で乗れないとアナウンスが言う。
新潟方面は?と聞きたかったが、はっきりしない事を言う。
長岡で降りて、新潟・加茂方面が不通だと話しにならないので仕方が無いので、燕三条駅まで乗ることにした。
燕三条駅に無事着いて、日の丸タクシーに乗った。私は、日の丸タクシーの応対が好きである。とても親切である。
会社に着いたのが、結局、7時40分頃だった。
長い一日であった。
交通事故で大事な納品と、お取引先との大事な商談を逃していまったが、色々な人に助けられて、無事会社に帰ってくることができた。
本当に感謝である。ありがとうございました。おかげで今日も生きる事ができた。感謝である。
この貴重な一日を大切にしたいと思う。
トラックが、橋にぶつかる直前のシーンが、急に思い出された。命が助かって、本当に良かったと感じた。
ぶつかる直前、時間がスローモーションに流れる気がした。本当に怖かった。でも、助かった。
ありがとうございます。感謝申し上げます。ありがとう。
明日からこの気持ちを桐たんす製作にぶつけたいと思う。
ありがとう。
2012-08-22 19:18:00
コメント(0)
|
トラックバック (0)
もっと読む...
折りたたむ
2010 1221
いつも思うのは、人はいつ死ぬのかわからない。明日なのか50年後なのか、本人でもわからない。だから、毎日を一生懸命に生きるのだと思う。
先日、先輩のお通夜に行って、その考えを再認識した。生きている間、とにかく思い切ってやってみるのだ。間違えたら、また、変えれば良いのだ。
成功を目指していて、失敗しても、成功するまで行ない続ければ、いつかは成就するのだ。
死ねば、すべて、リセットされるのだ。先ずは、生きている間に自分の理想を実現するために毎日を生きよう。
私の理想は、弊社で製作した、桐たんす、桐家具、桐製品が世の中のお客様を喜ばせ、幸福にして、感動を与える事である。
人の幸せに貢献できる。これほどの喜びはない。自分の好きな物が認められ、それが、人を幸せにするのは、極上の喜びである。
桐でこれからも色々な奇想天外のものを製作したい。
それで、世の中の人達に喜んでもらいたい。
やる事は、無限にある。
2012-08-22 19:17:00
コメント(0)
|
トラックバック (0)
もっと読む...
折りたたむ
2010 1218
先日、業界の先輩であり、友達でもあった各務さんのお通夜に行ってきた。まだ、56歳だった。
最近、あまり会っていなかったが、昔は、時々一緒に飲みに行ってたりした。
山が好きで、高校は、山岳部だった。
タンス組合に若手研究会というグループがあるが、私が業界に入りたての頃、その若手研究会でのことを良く覚えている。
何も知らない時に色々教えて頂いた。私は、先輩として、とても好きな人であった。
もっと生きて、業界発展に頑張ってもらいたかった。タンス以外で、桐の子供イスなどを製作していた。当時は、とても感心した。
本当にもっと生きて欲しかった。
合掌。
2012-08-22 19:16:00
コメント(0)
|
トラックバック (0)
もっと読む...
折りたたむ
2010 1204
今日、加茂大橋が開通した。
加茂箪笥協同組合の理事長という事で、加茂大橋の開通テープカットに参列した。
とても多くの方々が式典と開通式に参加していた。
この橋を架けるには、とても長い年月と多くの人たちの苦労があった事だろう。とても気が遠くなるような苦労と時間がかかっている。
お金も多大である。
道路が開通するのに比べて、一つの橋が開通するというのは、物語性があるような気がする。
選ばれた3世代夫婦の家族の方々がいて、息子のドッチボールのチーム監督をしていた、塩野さんがいて驚いた。
実に多くの人たちの苦労によって、出来た加茂大橋。
次世代に伝えたいと思う。
2012-08-22 19:15:00
コメント(0)
|
トラックバック (0)
もっと読む...
折りたたむ
2010 1102
今年の1月パリの展示会、メゾン・エ・オブジェに桐タンスを展示出品した。弊社が、製作したのは、「三泉」と「五泉」である。
各々「みついずみ」と「いついずみ」と読む。パリでは売れず、帰国してから日本人の方から買って頂いた。
来年の作品は、デザイナー平社直樹氏のデザインで9点を加茂箪笥協同組合で共同出品する。恐らく、かなり商談があり、成立するに違いない。
それだけの自信作である。地元の新聞にも先日載ったので、御紹介する。
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/16768.html
新聞の記事は、細かいお話も載っていたが、ネットでは大雑把な記事になっている。しかも、一部不適切な表現(嘘?)で書かれている。
それは、指摘しないで、記事にして頂いたことに感謝したい。
とにかく、世界中で桐の木を生活道具の家具材として、普通に使用しているのは、日本人だけである。
これは、非常に重要なことである。
これからの日本の外交戦略に絡んでくる要素でもある。
地球温暖化の二酸化炭素排出量を25%削減を実現するには、日本であれば、桐の木の植林である。
かなりの量の二酸化炭素の吸収できるはずである。
我々は、成木した桐の木を活用する多くの技術を持っている。
林業にテコ入れして、国は、今まで以上の予算を組み、雇用の創出と、林業の復活と、地球温暖化防止への貢献の三拍子で桐の木を植林するべしである。
桐は、生長が早いが、決して柔らかすぎて、家具材に使えないわけではないのだ。欧米人には、その認識が欠けている。
しかし、今年の1月、パリで中国の桐を仕入れて、テーブルなどを製作している、欧米家具メーカーの話を聞いた。
徐々にであるが、海外にも桐の素材が広がりつつある訳だ。
桐の木が世界を救う。これは、私の夢である。
実現すると良いと思う。
夢は、必ず実現する。
2012-08-22 19:15:00
コメント(0)
|
トラックバック (0)
もっと読む...
折りたたむ
2010 1031
今日で10月も終わりである。
明日から11月である。今年も残すところ、あと2ヶ月間である。早いものである。
11月は、13日と14日に弊社で展示販売会を行なう。
この期間、加茂市の加茂市市民体育館でも、イベントがある。
「とっておきの加茂☆秋物語」である。13日には、桐の木早切大会がある。賞品もあるので、早めに応募すると良いと思う。先着50名だから、すぐにいっぱいになると思う。
弊社でのイベントは、お客様感謝デーとして、13日(土)と14日(日)の2日間行う。
14日は、「親子による桐木工教室」を開催する。
昨年から始めて、今回で6回めである。
親子で参加するのは、とても良いことである。
色々な親子が、毎回来られるが、本当に家族というのは、人間模様が色々というか、色々な家族があり、面白いと感じる。
私は、桐のタンスを製作し、販売しているが、桐関連で色々なイベントを考えている。
もっと面白くしたい。イベントを通じて、お客様と交わりたい。
私は、なぜ、商売しているのだろうか?
なぜ、桐たんすを販売しているのだろうか?
生活のため。家族のため。社員のため。お客様のため。自分のため。社会のため。国家のため。
実に多くの為に仕事をしている。
会社が社会に貢献できるとしたら、桐タンスを通じて、お客様に満足と感動をして頂くというのが、大事である。
桐タンスを通じて、社会に貢献できるとして、それが、我々の直接的な利益でなくても、お客様が満足できるのであれば、それは、我々のメーカーとしての存在意義になる。
もっと色々な人を接して、もっと学ぶ必要がある。
私の人生は、もうすぐ50年である。残りの50年をどう使うか。
これから真面目に考えなくてはならない。
会社を通じて、社会に問う事ができるのか?
世界の茂野になるには、まだまだ時間は、かかるだろう。
しかし、世界中のお客様から弊社の桐タンスと桐家具、桐製品を使っていただく事が、大事である。
私は、時間をかけて、もっと夢を膨らませ、計画して、実行しよう。
宇宙人が来たら、私は、桐家具を使ってほしいと感じる。
この肌触り、質感、宇宙にありますか?と質問してみたい。
宇宙人は、すでに地球に来ているという。
桐の質感と肌触りが、宇宙にはないと思う。
女性の柔肌というが、木の世界で桐の木は、「木の女王」といわれるくらい、柔らかく、包容力がある。
この桐の質感は、病み付きになる人もいるらしい。
だから、11月13日と14日は、ぜひお越し下さい。購入しなくても桐素材にさわりに来てください。
お待ちしております。
2012-08-22 19:12:00
コメント(0)
|
トラックバック (0)
もっと読む...
折りたたむ
2010 1028
今日は、県内の長岡市から工場見学に20数名の方々が来られた。皆さん、ユニークな方が多く、私の話に対して反応が良くて、心地よい1時間であった。
最近の工場見学は、川上から川下まで、時間許す限り見ていただいている。先ずは、桐の原木とその製材工場から見ていただく。
弊社から車で5分程度の所に桐の原木と製材所がある。そこで桐丸太には、2種類あると説明する。
柾木と並木である。桐の木は、草の仲間なので、まっすぐに育つものが少ない。10本あれば、1本あるかないかが柾木であり、ほとんど並木にある。
実は、国産材の柾木は、現在、かなり少量になり、加茂の桐タンス屋のほとんどが北米産の桐丸太を柾材として、仕入れている。このことは、販売する方は、余り説明しない。
なぜかと言うと、北米=アメリカであり、外材となるとチープ(安価)なイメージを持ってしまうからである。
中国材と違い、北米材は価格が高い。国産材と同等な値段である。であるから、メーカーや販売店によっては、北米材は、国産材と同等と見て、詳しく説明しない業者さんもある。
見学は、原木見学の後、天然乾燥している板干し場を見に行く。
約700坪の敷地に板を干す様は、壮観である。今日は、天気が悪く、見栄えが良くなかったが、天気の良い日は、秋風が吹き、良い感じなのである。
その後、弊社工場への見学となる。1時間の工場見学の半分は、外での見学となった。
実際の所、長い行程を経て、タンスを作るわけだから、100万円の桐タンスがなぜ、こんなに高いのか、製作行程をみると理解できると思う。
板干し時間が、圧倒的に多いのである。工場内に板を取り込んでから完成するまでの時間の方が短いのである。
今回、ご見学の皆さんは、とても良い方が多く、私の話を良く聴いてくれた。また、色々な質問もあり、楽しかった。
本当にありがとうございました。
また、ご縁ありましたら、お会いしたいです。
感謝です。
2012-08-22 19:11:00
コメント(0)
|
トラックバック (0)
もっと読む...
折りたたむ
2010 1027
来月の13日に桐の早切り大会が、加茂市市民体育館で開催される。午前は10時から、午後は2時から開催される。お時間ありましたら、ぜひ、お越し下さい。
4位まで賞品があるので、ご期待下さい。
ところで、「ピンからキリまで」という諺があるが、これはどんな意味なのだろうか?
一般的に ピンは1番良く、キリは1番悪いという風にとらえているようだ。
もともと、この諺は、花札から来ているらしい。
花札で、ピンは松の事で1月であり、キリは、桐の事で12月になっている。ピンキリというが、実は、最初から最後までという意味もあるらしい。
桐は、古来から日本人の文化に深く根付いている。
菊の紋と桐の紋は、昔から皇室が多用する事が多い。
古くは、中国から来た鳳凰がとまる木として、有名であり、今でも500円玉は、桐の木が使われている。
桐の木は、英語でパウロニアと訳される。パウロニアとは、何か。なぜ、パウロニアなのか?
一説によると日本にシーボルトが来日して、持ち帰ったのが桐の木で、そのオランダの王女がアンナ・パブローナという名前らしい。
パブローナから転じてパウロニアとなったらしい。これは、今年の1月にパリの展示会場で接客していた際にフランス人から聞いたお話である。
桐の木は、成長が早い。なぜか?それは、草だから。
木なのに草なのか?これは、学名を見ると理解できる。ゴマノハグサ科に属している。ノウゼンカズラ科に入れる学者もいるようだが、主流は、やはりゴマノハグサ科である。
木と同じと書いて、桐である。実は、木ではなく、草に近い植物なのである。同じような話で、銅がある。金と同じと書くが、金ではない。銅は、金のようなものである。
桐も木のようなものである。
草だから成長が早く、柔らかく、優しく、軽い。
この魔法の木が、地球温暖化に貢献できるようになるとは、昔の日本人は、わかるはずもなかったであろう。
桐の木が地球温暖化に貢献できるとは、いまだに認知されてはいないが、日本は、鳩山政権時に二酸化炭素の排出量を世界に提示したのだから、桐の木を日本中ならびに世界中に植林する計画を立て、実行すべきである。
日本は、桐の加工技術にかけては、世界一である。しかし、植林技術は、日本よりは、中国にあるかも知れない。
どちらにしても現在、日本だけの桐の木が、ヨーロッパにおいてもその存在が認知されつつあるのである。
今年の1月にパリの展示会でドイツ製の桐のテーブルをメーカーから聞いて、とても感心した。 驚いた。
私は、世界中の至る所に弊社の製品を卸して、満足していただけるお客さまを増やしたい。
世界中のお客様が、桐たんす、桐家具を使い、幸福になるさまをイメージしている。
感謝である。
2012-08-22 19:10:00
コメント(0)
|
トラックバック (0)
もっと読む...
折りたたむ
2010 1026
私は、大学でデザイン科に入り、デザインを学んだ。
そのため、伝統的デザインの桐タンスもデザインを変えれば、じゅうぶん現代に通用するのではないか?と考えた。
この業界に入ってからすぐに考えた。もっと若い人にも受けるデザインであれば、桐タンスは、もっと購買に結びつくはずだとの確信を持っていた。
しかし、そもそも、伝統的デザインの桐タンスは、デザインしていないのか? そうではないという事が後になってからわかる。
長い間、デザインが変わらぬ事が証明しているように変わらぬデザイン、長く使えるデザインであることに間違いはない。時間をかけて、永く熟成されているデザインとも言えるわけだ。
今が、2010年であるが、昭和でいうと昭和30年(1955年)くらいまでは、桐タンスのデザインは、余り変わらなかったようだ。
しかし、その後、伝統的デザインの桐タンスも徐々に変化していくことになる。昭和30年と平成22年の伝統的デザインは、まったく別物である。
本来であれば、写真または図解して、解説するところだが、文章のみで判りづらいかもしれないが、読者のみなさんには、イメージで理解していただくことにする。
昔の桐タンスは、まず、天板が角であった。桐タンス業界的には、天角デザインと言えば良いと思う。
それを誰かが、天丸デザインを考えて、商品化した。要するにタンス本体の天板を丸くしたのである。
その後、本体の下側も丸くする発想が生まれ、「四方丸」というデザインが商品化される。
それと前後して、本体の側板が丸い「胴丸」というデザインが生まれる。
その後、天丸、四方丸の本体の側板(胴)を厚くした、胴厚というデザインが登場するのである。
伝統的といわれるデザインにも変遷があり、天角、天丸、四方丸、胴厚、胴丸、などと何種類にも分かれる。
いつ、誰が、これらのデザインを生み出したのか、私は不勉強で判らないが、一連のデザインを合体させたデザインを私は、10数年前から考え、商品化した。
上記の天丸、四方丸、胴厚、胴丸は、桐タンス業界としては、共通語であるが、そこからさらに、「四方胴丸」、「天胴丸」、「洋丸」、「四方角」という本体のフレームデザインを変えた商品を考え、商品化していった。
10数年前に考えた、四方胴丸という伝統的デザインの桐タンスは、今も100万円以上の値段でお店で販売されている。正に驚きである。お店の販売員の方もすごいが、そこに価値を見出してくれるお客様にも感謝と御礼の気持ちでいっぱいになる。
その後、約10年前からこれからは、これでは駄目だと考えて、モダン桐家具の発想を前面に出していった。
モダン桐家具「ネオパウ」シリーズの開発である。最初は、「ネオパウロ」というネーミングだった。
ネオパウは、1号、2号、3号くらいまでは、私が考えてデザインした。4号から当時、武蔵野美術大学の先生、北川八十治氏からデザインしていただく。
その後、ネオパウシリーズは、11号と12号まで続き、その一対が今も定番商品として、展示販売されている。
それからも鴨野シリーズ、栄蔵シリーズ、ラ・キリシリーズなどとそれぞれにデザイナーと出会いがあり、商品化していく事になる。
一つの商品の陰には、10個くらいの試作品がある。売れて定番商品になるまでには、何度も改良していく。本当に地道な作業である。
私は、最近、ようやくモノづくりの大切さが理解出来てきたような気がする。
メーカーの優位性を理解して、100年使えるデザインのモダン桐家具をこれからも商品化していきたい。
今日もパリ行きの桐家具の修理のため、現場の職人と打合せをした。来年の1月には、渡仏するが、世界中のバイヤーに桐タンス、桐家具のすばらしさと新しいデザインの桐タンスを受け入れていただける事を切に祈っている。
イメージは、現象化するのである。
2012-08-22 19:10:00
コメント(0)
|
トラックバック (0)
もっと読む...
折りたたむ
2010 1013
私は、現在、48歳である。2012年の2月で50歳になる。
昔、織田信長は、人生50歳。と言ったらしいが、現代の日本で50歳で亡くなるとしたら、若死にということになる。
一説によると、2012年の12月の冬至には、地球規模で大転換が起きるらしい。マヤ暦が終わるというのだ。
地球どころか、太陽系、否、銀河系全体での大転換らしい。詳しいことは、良く判らない。が、地球上では、大転換が起きるらしい。
ともあれ、私の人生。100歳まで生きたい。50歳だとちょうどマラソンでいうと折り返し地点である。
小さい頃から絵が好きで、また、有名な画家のお話を本で良く読んだ記憶がある。
ゴッホとピカソ。この二人は、対称的である。絵画もすばらしいが、人生がまた、すごい。
ゴッホは、死ぬまでに売れた絵が、ほぼ1枚と聞いている。
ほぼと書いたのは、確か身内の方が買ったようなお話であった。もしくは、それを数に入れないとゼロである。
結局、人生の最後に自殺して、無くなるのが、「炎の人 ゴッホ」である。
かたや、ピカソは、小さい頃から写実的な上手い絵を描き、人生途中から他の人が真似できない、画風を作り出す。
小さい子供が、絵を描いているのを見て、昔、良く「まるでピカソの絵のようね。」とほめているのか、ほめていないのか、よくわからない大人の表現があった。
私は、死ぬまで創作活動をしたい。毎日、研ぎ澄ますように感性を磨きながら、死ぬまで、創り続けたい。
今は、現状に甘んじている。毎日が、生きているのに精一杯である。創作活動も十分ではない。
しかし、世に桐タンスのヒット作品、又は、後世に残るような名作を何れは、作る。
必ず、作る。今、決意した。
それが、私の存在意義であり、生きがいなのだ。
ゴッホの絵や、ピカソの絵の世界を桐の家具の世界で具現化したい。
何れは、世界中の博物館や美術館に茂野タンス店の桐タンスや桐家具が展示されることを考えている。
2012-08-22 19:09:00
コメント(0)
|
トラックバック (0)
もっと読む...
折りたたむ